人間の本当の価値は行動でしょうか?それとも信念でしょうか?
真剣に物事に取り組んでいる人からの相談です。
どっちだろう。信念があっても行動しなければないと同じだし・・・。うーん。
人間の本当の価値は行動?信念?
先人たちは「人間の本当の価値は行動であらわれる」と言っています。
一方、「自分の在りたい姿を明確にイメージすることが理想への近道」と表現している方もいます。自分のこうなりたいという強い信念が実現には不可欠だという考え方です。
どちらが正しいのでしょうか?行動か信念か。
結論:どちらも正しいと思います。
というのも逆説的に考えた時に「行動なき信念は妄想に過ぎない。」でしょうし「信念なき行動はブレを生み出す。」でしょう。
行動と信念は両輪です。
どちらも良いバランスであってこそ、まっすぐ進みます。時には右に行ったり左に行ったりしても良いと思います。その道のりが自分の財産になるからです。
行動を大事にしていた時期
そうは言うものの、私は行動を大事にしていた時期がありました。
行動なき信念は妄想に過ぎない。という言葉が胸に刺さったからです。良いアイデアを持っていたとしても形にしないのは無知であることと一緒だと思っていたからです。
口だけ男になりたくなかったんだと思います。
今思えば強がり、背伸びですね。
結果を求めるためには行動しなければ何も生まれません。そういう意味では行動を重要視していたことは否定しません。しかし行動のみに着目していた過去の自分は、信念や過程を見ていなかったんだと今思えば反省しています。
このような失敗がありました。
数十名の管理を任された時のことです。初めての部下、初めての管理ということで結果を強く求めていたのでしょう。「目標を達成するには行動を起こしていこう!」と部署目標達成のために部下一人一人の行動目標を立ててもらいモニタリングをしていたのです。「Aさんは交渉能力が高いから、この部署との折衝事をお願い」「Bさんは文章の校正力が素晴らしいからCさんとDさんの挙げてきた書類のチェックを」等、一人一人の具体的な行動を指示していたのです。それ自体は適材適所でモニタリングもしていたので悪いと感じない方もいるのではないでしょうか。
しかし私には大きく欠けていた面があったのです。
それが信念です。
なんのために部署目標を達成するのか、部下に示せていなかったのです。
行動は示せていても信念を示すことが出来なければ、やらされている感が強く残ってしまいます。次第に部下のモチベーションは下がっていきました。
部署目標と言いながら私自身が達成したい私的目標になっていたのです。
当然、スタッフ全員のモチベーションを上げることはできませんでした。
行動と並行して信念を伝えることをしなかったのです。
両輪が片輪になり進むべき方向は曲がってしまい、途中脱輪し車は止まりかけました。
脱輪してもスペアタイヤがある
止まりかけた車は片方のタイヤがなくなっていました。
「何がいけなかったんだろう。」
「まだ車は残っている。前へ進むためには何がいけなかったか一旦車の外に出よう。」
私は車の外に出ました。内側から自分でドアを開けたのです。外からは誰も開けてくれません。行動変容の鍵は内側についているのです。
勇気を出して外に出てみると、タイヤがないことに気づきました。私は恵まれていました。そのなくなったタイヤの意味を教えてくれた人がいたのです。私の乗った車を外から見てくれていたその方は、なくなったタイヤが信念であることを教えてくれました。そして車にはスペアタイヤがあることも教えてくれました。
私は「まだ間に合うし、今からでも遅くはい」と思い、スペアタイヤを付け替えるように、自分の信念を付け替えました。
私的目標になっていた部署目標をみんなの未来が明るくなるような部署目標に変更しました。1つずつ言葉にしました。言葉にしないと伝わらないからです。
車は前に進みだしました。時間はかかりましたが、なんとか目的地までたどり着きました。
なんともたどたどしい到着です。
到着し分かったこと
走っていた時は気づきませんでした。
曲がっていることを。タイヤがなくなっていたことを。
外に出てようやく気付いたのです。
止まらないと気づけない愚かさを責めるよりも、止まってからでも気づけたことを称えました。
仲間がいないと私は気づくことができなかったかもしれません。
本当に感謝です。
これからは信念と行動をつなぎ合わせていこうと思います。
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